在庭坂通信

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「41番の少年と会った」

少しばかり長い縁の話し。

今風の語り口を拝借するならば、平成最後の年の六月、北海道の道東に位置する、<陸別町>という...~確か日本一寒い町~、というキャッチフレーズだったかな...道東をオンガクで旅したいと言ったら札幌の友人が友人に頼んで紹介してくれたのが陸別、それまでは名前も場所も知らない土地であり、何もわからないヨソモノなのでとモジモジしてたら見ず知らずの土地の方が十勝の町までクルマで迎えにきてくれて、話せば彼も土地の唄うたいだという、途中ぜひ寄ってください、と名寄の道の駅みたいなところで松山チハルの等身大パネルと一緒に記念写真したりそぼふる雨もなんのその、彼はとてもいい方だった。

陸別町に着いたらイベントの主催の方がおいしい蕎麦やがあるからと連れていってくださり、いやいや、過疎化がたいへん進んでいる町のそばや、本当にこれが美味しかったのだ、わざわざ食べに来る方大勢いるのだとか、わたしはわたしの例にもれずもりそばを食べたわけですけれども。
そしてその夜は、明日のイベント出演者を歓迎してくださるというパーティがあるとやらで...鹿肉のジンギンカン♪...ただしわたくしは体調悪く欠席、六月にしては寒く恐らく10℃以下、月の見えない夜と記憶しております。

ゆっくり休み、翌日は体調もよく、陸別町立の町民ホールにて陸別ミュージックフェステバル、入場料は500エン...じいさんばあさんが多いのでエンカとかみんなが知ってる曲を演奏してくれるとうれしい、と主催の方が言っておられましたが、開けてみれば蓋を...とても若い方がたくさんいらしていました。
まあ、わたしが舟唄歌ったところでじいさんばあさん喜ぶわけでもないと思ったので、いつもどおり在庭坂サウンドをやるつもりでしたけど。
しかしながらわたしのことを知ってる方なんて、この陸別町に誰もいないだろうと思ったのは確かで、確かのままに演劇をやるほどの広い広いステージの中にdさんと二人登場したわけで。
誰も知らないだろうから自己紹介として、
「福島の在庭坂に住んでいます、在庭坂知ってる方おられますか?」
と話したら、ステージから向かって左端あたりに座っていた男が、
「知ってます」
と手を挙げたのでした。
これま、と驚き、
「え?どこからいらしたのですか?」
と聞くと、その男、
「米沢です」
と言う。
米沢とは、隣町でねえの、とおんどろいたまま、いつもより口を大きく開けて歌い始め歌い終わったのでありました。

で、今夜は今夜の打ち上げと、今夜は元気に繰り出し。
打ち上げ場所は、陸別の仲間たちで手作りで造りあげた音楽スタジオ、兼ライブハウス。酒盛りはもう始まっていていい感じ。

..「先ほどはども。」
と、座った隣りはその男だった。
「あ、米沢の方。なぜ陸別へ?」
お互い挨拶もそこそこに聞きたいことを聞きあう。
..「虫を採りに来ているのです。」
..「陸別にはこのところ毎年来て三ヶ月ほど住んでます。」
..「陸別にしかいない虫がいるのです。」
..「ブルースギターやってます。」

年のころはわたしと同い年あたりなのか...お互い東北に帰ったら必ずや会いましょうと約束し電話番号交換し、その場はお開きになった。

...............................
..「カブト虫飼育中でしたか。」

と、夏、メールが届いた。

にょん三郎のことだ、この夏在庭坂の家に飛び込んでそのまま飼っているカブト虫のことをブログにかいたのだ。

..「キノコ狩りにいきませんか?で、ぜひ米沢の家に泊まってください。」

dさんのところに連絡があり、その後細かい打ち合わせをして、そして晩秋、ついに米沢へ行くことになった朝。

待ち合わせ場所も時間も念入りに打ち合わせ....のはずがどう考えても間に合わない時刻にdさんが外出先から帰宅、連絡しなくていいの?と言うが、大丈夫そうな気配。

と感じてたやいなや、

....ヤバい

と、助手席で小さな声。
続いて大きな声で、

すみませんでした、いま急いでますので、以後気をつけますので、どうぞお気悪くなさらないよう...

と一生懸命留守電メッセージを残している。

彼を怒らしてしまった

下を向き泣きそうだ。

「俺は生きていていままで待ち合わせ時間に遅れたことは一度もありません。」

30分くらい遅れるかも、とメールしたら、このようなメールが返ってきたのだそうだ。

在庭坂近くの大笹生という地域に今年三月だったか...新しい高速道路のインターが出来、いままで米沢まではいくつもの山越えであったのが、30分足らずの道のりとなりしかも無料なので、土日とはいえ空いているし、しかしながら初めての道、そんなに飛ばすこともできない。

20分遅れかな

雨模様だった今朝、
米沢は次第に晴れてます、とのメールの次に来たシビアなメールだったので、雨が止みお日さまが出ても、初めて通る道を走っても、久しぶりのバカンスでも、なんだか浮かない車中であった。

米沢インター手前で降りて、待ち合わせ場所のコンビニへ。

わたしたちの車とわかるやいなや、待っていた彼の車は全速力で飛び出し、行けども行けどもくねくね曲がる狭い道をいくつもさらに曲がってしかもスピードは落とさない、ついたところは蕎麦屋。

...11時過ぎると混むもので。

彼は蕎麦をごちそうしてくれた。

秘密の蕎麦屋だった、美味しかった。

...では、きのこ狩りにいきましょう

彼は少しスピードを落としてわたしたちを先導した。

天気は少し曇り、時おり小雨もぱらついた。

ラジオにスイッチ入れた彼のあとについてわたしたちは山の奥に入り、至るところにあるナメコやらを狩った、彼の教えのまま狩った、いつしか大量のキノコの山になった。

...今日はキノコ狩りに最適な日でした、天気いいとピカビカしてキノコが見えにくい、今日は暑くもなく寒くもなく、曇っていて、ばっちりの日でしたよ


わたしたちはそのまま米沢の彼の家へ行った。

奥さまが迎えてくれた。

宴会なる料理...<義経>という、米沢の方なら誰でも知るジンギンカン鍋でもてなしてくださり、他に奥さま手料理の大ぶりにカットされたカボチャの煮付けやら玄米おにぎりやらそれはそれは美味しくいただきました。
聞くと奥さまは、
...わたしは米沢出身ではありません、カワニシです

...井上ひさしといえばわかるかな、あのひとの故郷のカワニシの出です、わたしは。

彼女はうつむきかげんで口を少し尖らす感じでしゃべった。

彼女は、肩パットの入っているのか肩幅がそのまま広いのかわからないような毛糸のカーディガンをはおり、ハヤミユウのような浅黒い肌と顔かたちの美しい女性だった。

...もう毎日疲れてたいへんで生きているだけでやっとで..

そんなに大変なのかと齢を聞くと今年50だと言う。

ビール一杯ほど飲んで、いつの間にか彼女は宴の席から居なくなっていた。



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彼の家の屋根裏部屋で寝た。

朝10時くらいに彼はやってきた。

...おはようございます、こんなものを作っているのです

と、彼の作品の虫の標本を見せてもらった、商品である。小さく、それはそれは小さく、全部おなじかと思いきや全部違う、ひとつひとつの標本裏に値段が書いてある、三万円、五万円、八万円...

...お客はほとんど学者さんです、テレビに出てる○○さんとか...

彼は百科事典なんかより大きい<むしの本>という事典を持ってきて、

...ぼくが捕まえた新しい種類の虫...ぼくの名まえが付いてます

なるほど、虫のなまえは彼のなまえだった。

ブルースの事典よりも相当マニアな事典だった。

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朝、なめこ汁をいただき、昨夜話題になった、米沢の古い金物屋さんに連れていってもらうことになった。

米沢の旧市街?か...シャッター街となりかけている並びに大きな間口、そこが例の金物屋だった。

...なんでも驚くほど安いのです

野外で芋煮をする大鍋やら、釜戸で炊く飯の30升炊きの大釜やら、今や使われていない名も知らぬ名器?の数々が昨今のプラスチック製品群と共にアトランダムに配置されているのであった。

さまざまな名器具を手にとったり見とれたりしながら30分過ぎたころであろうか、同じように店内を徘徊していたハヤミユウ似の彼女と同じエリアに遭遇、彼女の特徴的なあのしぐさ、うつむきかげんで口を少し尖らすあの仕草で、口調が急に回転早くなり、

...これで肥溜めすくった、この杓、これ、知ってますか、知らないですかね

神社にあるような、ごく普通の杓にしか見えなかったが、彼女に言わせると、それは肥溜め用の杓なのであった。

わたしたちは小一時間ほど
金物屋をヒヤカシた。わたしは今時使われない両端に取っての付いた家庭用コンロでは使いにくそうな500エンの中華鍋を買った。
店のおじさんはうれしそうに、買ってくれた御礼にと手作りの千代紙の唐笠を持たせてくれた。

まいどありがとうございました。

わたしたちは挨拶してその場で別れた。

天気がよいので、新しくできた高速道路は使わず山越えの旧道を走った。
せまりくる山は見事な紅葉だった。

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すっかり前置きが長くなってしまったが、わたしが、井上ひさし作の「41番の少年」を手にとることになったのは、こんな経緯があった....からかもしれない、退屈しのぎに入った本屋で、数ある本のなかで出会ってしまった一冊。

...カワニシの出で、



半ば井上ひさしの実体験による著作だというこの「41番の少年」、平和を望む..望みたいけどどうにもならない現実、だれも責めることはできないがだれかを責めなくてはだれかが生きていくことができない生存の
残酷さ...うまく逃がすことのできない人ほどうまく生きれずどうすることもできず...

いい人ってなんだろ?


もはや本気で苦しむこともできない?、いろいろ諦めてきた自分が兵隊のように陳列して、失笑されて、本を閉じた。








今猛烈に彼女と話しがしたい。
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by madam-guitar | 2018-11-21 00:16  

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